itisuke雑記帳▼

足立新田高校の改革

 都立足立新田高校の元校長先生が、10年前の話を語っておられたのを見つけたので、少し短くしてみました。やはり成果を出す人は、分かりやすく言葉で説明できる様なことをやっておられます。

 

 とにかく学校の再建に取り組んだというよりは、取り組まざるを得なかったということです。

 高校生というのはもともとものすごいエネルギーを持っていて、それらの生徒たちが何の心配もなく切磋琢磨して学校という集団教育場の中で活躍出来れば本当にすばらしいわけですけれども、現実的には難しい状況もあります。それから、最近は進学校・非進学校、公立・私立を問わず、心因的な深刻な課題を持つ生徒も入ってきまして、現場の先生方を非常に困惑させているという現状もあるわけです。

 都立足立新田高等学校は、どうしようもない成績、極端にいえばオール1でも合格できるような状況に落ち込んだ不人気な学校でした。入学してくると5月から退学が始まり、夏休みまでであらかた退学者が出そろってしまうのです。教員のほうも「もうしようがない」とあきらめて退学させる。更に、生活指導上で3回問題を起こしたらポンと切り捨てるという感じで、結果的に中退者が入学者の約半数に上ります。部活動もほとんど消滅しています。昼過ぎますと生徒が学校の中で見当たらないという感じの学校でした。

 平成9年の11月に中途で着任しますが、前任者はあまりの困難さに体調を崩して休職になったためでした。最底辺の学校ですから、体力、気力、知力、更には経済的な事情もままならないという生徒たちです。当然ながら、放任されて育ち、我がまま放題に行動する。校舎内をバイクで走った、校舎や施設を壊した、教師に暴力を働く、盗難や喫煙行為などは日常的に起こります。

 生徒たちは非常に表層的な流行に流されており、喫煙、頭髪は染め放題、ルーズソックスで、出始めた携帯は手放せない。家計を助けるという名目でアルバイトをやるのはまだいいのですが、アルバイト収入はもちろん遊興費に消える。そういう生徒たちが多かったということです。おとなしい生徒の多くは、学習や校内での行動に自信がない子たちで、黙って教室の隅にかたまっている状態でした。こういう学校では、少なくとも勉強目的の生徒が生き残るのは難しいのです。

 そのころまでは東京都の教員組合組織率が90%を超えており、校長が何を言っても聞いてくれない実態があったのです。その際の教員側の切り札が、校内の予算の中で自由の効く旅費配分、それと国旗・国歌に対する反対です。日直拒否は日常茶飯事です。国旗・国歌を出されると儀式も何も動かないものですから、波風が立たないように、校長は黙らざるを得ない。つまり、この問題を克服しない限りは校長が何を言っても、結局は何もできないという状況だったと思います。

 管理職、都教委と教師、教員団体が厳しい対立関係に立つ中では、何事もうまく解決できず、妥協ばかりが優先してしまいます。自校でもまずこれを突破する必要がありましたが、3年目頃には完全に解決出来たので、他校に先駆けて学校改革に教師の全エネルギーを注入することが出来たのです。

 まず学校を再建、改革に着手するときは、その学校がある地域の教育資源を利用すればよいと考えたのです。福祉、スポーツ、情報という3つの柱を立てて、全日制普通科高校であっても限りなく総合学科に近い内容にして原型となるカリキュラムを作っていったのです。

 学校の周囲を見回して、あらゆる資源を探し、それとコラボするのです。例えば、足立新田は荒川の中洲に位置しますが、当時の人口8,000人のうちの20%が70歳以上という高齢地域なのです。そういうこともありまして、教育資源として高齢者が見つかります。これと福祉教育を繋げてカリキュラムに取り込みます。それから近くの河川敷に当時都民ゴルフ場がありまして、ゴルフ場というのは午後の1時ぐらいから3時ぐらいまでは空いているものですから、それを貸してもらえないかと相談しました。これで特色ある体育教育に繋げるのです。そんなことを考えていったわけなのです。

 それから底辺校ですから、先生が若くてやることがなく暇だけがある。でも、パソコンで遊んでいるから操作は得意です。ITを活用する情報教育を何とか実践したらどうか、という形で、他校にない魅力化に取り組んだのです。

 次に、自校の学校予算執行状況を調べると、非常に無駄が多いことに気づきました。大体定額が配分されますと、それが毎年同じように支出されている。倉庫を調べてみたらざら紙なんか山のようにあるわけです。文房具、チョーク、テープ、清掃用具やペンキまで山のようにある。だったら何も次年度の予算で無理に買い増しすることはないから、浮いた分を学校広報費に回そうと考えました。教師にもパソコンができる者もいれば、ゴルフのできる者もいるので、教科にこだわらずに適材適所で使って魅力化に繋げようと考えました。

 都教委とすれば平成9年から学校改革を打ち出してきたのですが、既存校がなかなか手を挙げないジレンマがありました。学校評議員制、「開かれた学校」。高校校長会さえ「そんなことできるわけない」と反対する有様です。そういうことでも、「じゃあうちの学校だったらできます。そのかわりに○○をください」。「とても特色のある学校を作りますよ、そのかわりに○○をください」と取引し、ギブアンドテイクの形でどんどんやっていったのです。

 外部にアピールする前に、先程言ったような魅力あるカリキュラムを準備するのです。福祉教育ではホームヘルパーの養成授業をやりました。都教委の協力で実習室を作ってもらいました。学校の中に「ホームヘルパーの養成所」をつくれば足立区ではヘルパーの2級資格が将来的に重要な就業手段になるだろうと考えてやったのですけれども、最初は校内で反対されました。生徒がそんな授業を聞くわけがないと言うのが理由です。目の前の生徒の実態を見れば誰でもそう思います。2級は間もなく廃止されるはずだともいうのですが、要はやりたくない。生徒が聞かないのだったら、保護者にも開放するし、地域にも開放するという形でホームヘルパー30人の養成講座を開始しました。そうなると生徒たちを地域の人たちとか親が取り囲むわけで一石二鳥、これは現在も維持されていて、重要な魅力化の手段になっています。

 それから体験入学とか、学校説明会についても、当時は都立高校の大半が熱心でなかったので、特に重点項目として取り組みました。これをやるからにはどこの学校もやっていない形でやろうというので、元旦に説明会をしたのです。先生たちはみんな「そんなことやれるわけがないし、だれがやるんだよ」と言うだけです。「誰もいなければ校長、教頭でやればいい」し、地元の塾の協力もある。「先生方の中にも我が子の受験年の人もいるじゃないですか。どうせ年賀状読んでいるだけだったら、手伝ってくれればいい」とお願いしたら、実際に何人か手伝った。大きな戦力となり、それが今でもまだ続いているのです。

 これは朝日新聞や読売新聞などでも紹介してくれました。要するにやれることは何でもあるわけですから、労を惜しまず、なりふり構わずやっていくことが、現場には求められているのです。学校教育の問題は先生の問題ですから、先生の教育に対するモチベーションをどういうふうにして維持あるいは高めるかが大切です。だましだましでもいい、なだめすかしてでも、その気持ちに持っていくことが大切なわけです。

 日の丸、国旗などは実に簡単なことで、反対されても、校長としては実施すればいい。立てたら入学式や卒業式には協力しないと抵抗する教師もいますが、協力しなければそのままの状況を「これがうちの実態です」と言ってマスコミに公開すればいいのです。

 校長の姿勢がはっきりしていれば、結局は解決する。国旗・国歌、日の丸・君が代が解決すれば、あとは先生方との議論は教育論に集約されていきます。みんな言うことを聞くわけだし、悪いことをやっているわけじゃない、決まったことを粛々とやっていくだけのことで、そういうこともモチベーション高揚の上では大切だと思いました。

 改革で入学者の倍率が右肩上がりに変わってきました。私が着任したのが平成9年ですから10年度の入試結果は惨たんたる状態でした。0.93、1.10、1.01と。それから推薦のほうは1.88ぐらいですけれども、11年度からは推薦で3.14、一般で1.78で、突然、東京都立普通科でトップの応募倍率に上がっていったのです。これは学校の魅力化への取組を、朝日新聞その他のメディア取材で全国的に報道されたことも影響しています。

 もともと行き場のない子がまず受験出願してくる、それから特色のある学校に入りたいという子が出願してくる、それが合わさって志願倍率がぐっと上がったのです。私は「人気のある学校は応募倍率が高くなる」というアピールを学校宣伝の目玉手段として使いました。先生方にとっても新鮮な感動で、これが喜びになり、モチベーション高揚に繋がっていきました。

 この学校に入りたい、学びたいという生徒が入ってくるのですから、必然的に中退者がどんどん減っていくのです。いかにして数多く卒業させかるというポジティブな発想に考えを変え、平成12年度で201人、その次で222人、それから243人と、生徒を卒業させて私自身も退職したのです。要するに、世間でいうよい学校、日比谷その他の高校でなくてもよい、この学校で3年間学んで、それなりに学び終わって、学校を出た、自分の努力に自信を持った生徒が世の中に出ていく、そのことに意味があります。

 改革は継続が一番の課題です。手法も様々ありますが、私の場合は、生徒をとにかく退学させないことです。それから学校に生徒の居場所があることが大切です。「じゃあ、こういう状況の中でどうするか」を私たちはいつも考えていかなければなりません。


 専修大学附属高等学校長 鈴木高弘氏 

  

引用元 

鈴木高弘氏(専修大学附属高等学校長)意見発表:文部科学省