itisuke雑記帳▼

パソコン授業を初体験

 今日、防災センター要員の講習会というのを受けて来たんですが、最初は講義形式の授業で、最後はノートPCにヘッドホンでの授業でした。PCでの授業の方は自分のペースで読みながら、回りが平均で何ページを読んでいるかも常に表示され、単元毎に確認テストがあったりと、講義よりも能率的だし、気が散らないんですよね。もっと中高生の授業なんかで活用するといいんじゃないかな〜。

けやき祭・戸山祭・なずな祭・城北祭の歴代パンフレット

 4つの高校の文化祭パンフレットの表紙をダーッと並べてみる事にしました。その他の文化祭の様子などは⇓⇓⇓の記事で細々と紹介しております。

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城北埼玉高校「けやき祭」

 1990年代がすっぽり抜けていますが、2000年以降はだいたい毎年伺いました。近藤文彦校長(2002~10年)の時代が、またはっきりと特徴的ですね。

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(12年分の余白)

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市川学園「なずな祭」

 「第✕回」という回数の記載がない学校で、男子校時代は「市川学園文化祭」(市学祭?)、共学化後は「なずな祭」と呼ばれています。男子校時代のパンフレットの裏表紙は編集後記でした。個人的には1番最初の「独創の独走」というのが好きです。

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都立戸山高校「戸山祭」

 5~6年行かなかった事が2回ほどあったので、やや30年の歩みとしては飛び飛びになってしまっています。ずいぶんな変わりようですが、女子の比率が増えたことと、校舎改築の時に映画の編集設備が設けられてレベルアップしたからでしょうか。

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城北学園「城北祭」

 城北祭の回数は5回多く表記されていて、本当の第1回は昭和21年からなのですが、今の回数だと第1回は学校創立の昭和16年という事になってしまっています。たしか初めは「芸能祭」という名前だったかな。

 これ初めは「開校×周年文化祭」という物だったのですが、20周年くらいから文化祭の回数と呼ばれる様になった様です。30年位前の城北祭は、回数というのは年によって書いたり書かなかったりでしたが、現在の様に校長がパンフレット挨拶文の冒頭で、「本日は第×回城北祭にお越し頂き・・」と回数を書く様になったのは、先代の帖佐正雄校長になってからの事でした。

 数字を変えられないなら、「城北77年祭」とでも呼んだ方がいいですかね。

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終わり

 

デフラグのコツ

 僕のポンコツPCの動作が遅くなって、複数の不要レジストリ削除ソフトを試してもダメだったので、デフラグを6〜7回、10分位で終わる様になるまで繰り返してみたら少し治まりました。デフラグのし過ぎはハードディスクの寿命を縮めると言われるので、ゆるい作業をする様に設定されているのかな。

城北の先生の大学

 先日城北祭で、2016年までの学園報が縮刷版になって展示されていました。昭和50年代の始めにPTAと先生で出す形で始まって、初期の記事は昭和58年頃に出された城北新聞縮刷版(生徒誌)に収録されています。

 記事として多いのは新任や退任する先生、各学年の担任の先生の紹介、文化祭や体育祭などの行事の話ですが、城北の特徴として挙げられるのは、40年弱校長を務めた近藤薫明先生(社会)と、長く教頭を務めた細谷先生(数学)の影響で、先生方に国学院大と東京理科大の出身者が多いというのがあります。

 城北新聞があった頃は、新任の先生の紹介記事で出身大学を聞いていて、昭和60年までで言うと、慶応大学から先生を採った話がない事と、大学は2流で高校は1流という先生が結構いた事、OBは印象が強いけど1〜2割だったと思います。英語科は上智大が多い様で、国社の国学院大は毎年合わせても1名と決まっていた様ですが、3割強を占めていました。

城北学園文化祭(城北祭)へ 2017

 今年の城北学園の城北祭は「テーマなし」との事でしたが、ポスターの方は「虹」をモチーフに公募したそうです(今年は都立戸山高が130周年です)。城北祭ポスターには誤った回数と上板橋駅からの所要時間が書かれ、これでは「虹を題材にキャッチフレーズは考えられないよ」と言う意味になってしまった印象を受けました。 

 やはりこれから文実は半年間かけて、戸山高校の様にキャッチフレーズを公募するなりして、来年の目標なりイベントを決める所から始めないといけないと思うし、本当は今年「文化祭」とだけ書かれた垂れ幕があれば、来年、別の場所にかけて装飾を増やすとか、製作物の保管再利用の方法を考えてみてほしかったです。 

 今年4年目の小俣校長となって、初年に後夜祭がなくなったり、去年は小ステージがなくなったりしました。昨年中止された小ステージについては、復活を生徒会長が公約として掲げ、日曜午後からミスコンを主催・運営。その他にダンス部、有志などのステージが行われました。

 ミスコンを生徒会が運営するというのは、毎年続けられそうないいやり方だと思ったのですが、そもそも小ステージは今の高校棟を建てた時に造られて、住宅と接する場所にある為にあまり活用されて来ませんでした。本当は高校棟の中庭と昇降口の間の窓ガラスをドアに変えて、高校棟中庭にステージをつくらないといけないし、バンドも午後は空っぽの体育館でやれば、ずいぶん変わるのではないかと思います。

 土曜もカラオケ機の1台でも置けば賑やかになると思うし、本来ステージというのは、他で演奏している音楽系の団体や体育部・クラス参加、奇術同好会などにも10分程度で2〜3回ずつ演じてもらわないといけないんじゃないでしょうか。

 縁日は12団体で、来校者がシールを貼る方式で出店者の人気投票をやっていましたが、何故か全団体ではなく露店だけのの投票でした。文化祭期間中に食堂も営業しているし、生徒が食券制の露店をやっている手前でPTAが現金販売の焼きそば屋をやっていて、在庫が売り切れか14時で終了。その後は空白で殺風景になっています。

 学校グッズや焼きそばなどはPTAよりも生徒が売る様にして、PTAはやめたバザーを復活して頂くべきじゃないでしょうか。生徒は食券販売所を両替所に変更し、縁日の代金は貯金箱みたいな物に入れる様にすれば、現金販売で何の問題もないと思うし、露店用に小テントを20個くらい購入して、正門くらいまで縁日を伸ばした方が賑わうと思います。この学校の場合は露店の数と東大合格者数が一致する時代が来るかもしれません。

 生徒会が東日本大震災の募金をやる事も悪くはないですが、図書委員会の古本市も古本を10円か50円で売る様にして、その収益を募金に回した方がいいと思います。

 今年、体育館を除く校舎内での参加団体(学校・PTAを含む)は68団体で、内展示は28団体で41%。クラス参加(有志は入れない)は中1が7、中2が合同で2、中3が4、高1が6、高2が1(縁日は2)、高3は0(縁日1)。また教室などでの体育部系(有志含む)の参加は7、縁日は5団体でした。

 また文実本部は教室から廊下のコモンスペースへ移ってのインフォメーションを復活。懐かしのコスプレメイド喫茶の復活・・の他に、スキー部の占いや剣道部の喫茶店や硬式テニス部OBの輪投げなどもあって、また吹奏楽部も講堂、弦楽部は器楽室での演奏の他に、有志での教室演奏をやったりと積極的でした。

 また多目的ホール(小体育館)での鉄研の展示が今年も続いた事に驚かされましたが、教室の大型TVを5台使用して隙間なく色々なブースを設け、例えば680部作ったという雑誌どんこうの製作現場をまとめた動画を流したり、正面ステージのプロジェクターでも電車のスライド上映をBGMを付けて流していました。

 歴史部は受付で用紙を配り、出口で採点するという方式の強制的なクイズを今年からやめ、模型や中3、高1の部員の展示発表の他に、石に見立てた紙粘土に願い事を書いて鳥居の下に投げるコーナーや、道中かっぱを試着するコーナーなど、体験コーナーに力を入れていました。
 校舎内では、中学棟で40年くらいやっている中学生の自由研究の展示が高校棟の学校紹介の教室の隣りへ移りました。まだ受付とかで先生が立っている状態ですが、考えようでは高校生の自由研究も展示できる様になりました。
 高校棟で廊下の壁に各団体のポスターを貼って良くなったのは、高校70周年の時だから6年前の事です。同じ頃に階段の縦面を使った絵が貼られる様になって、今年はミスコンの男子生徒の画像が廊下にかけられたり、教室から廊下まで天井に風船を飾っていた団体も1団体ながら見られました。

教室の扉は全部外し、廊下でリクエスト曲を流したらもっと賑やかになると思います。

 僕は小竹向原駅から学校へ行ったのですが、相変わらず西門が歩行者出入禁止となっていて、正門の受付へ行く様に案内されました。西門には生徒が立っているし、校舎へ上がる階段も2つあるのに、何故か受付が作られません。そもそも西門は校舎周りの通路ですし、駅から徒歩20分もかかる訳ですから、自転車置き場よりも天井を設け、文化部の部室よりも生徒の下駄箱を置くべき場所ではないでしょうか。

 日曜は16時終了でしたが、蛍の光?のBGMが廊下に流れ始めたのは10分前ではなく16時からで、昔みたいな追い出しの先生とか生徒もおらず、そのまんま30分近く流されて、のんびりと客が減って行く感じがいいなあと思って帰ってきました。

 

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2017年9月の川柳

僕が選んだ9月の新聞川柳です。

 

ママパート兄弟留守番夏休み 
踏切で手を振るだけのななつ星 
そう悪くはないよという評価 
墜ちれども墜ちれども飛ぶオスプレイ 
ミスをしてこそ本物になるAI 
あの2人黙らせた人が平和賞 
貧乏も金持ちも金で苦労する 
気がかりは外交下手の戦好き 
投票にマイナス1票あったなら 
読まぬまま同意に慣れて怖いなあ 
豪快に笑う男が減ってきた 
ウソのよな昔人生50年 
ありがとう何度言っても損はなし

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4校の文化祭の受付とスリッパの有無について

 都立戸山高校市川学園、城北学園、城北埼玉高校の文化祭での受付の記帳及びスリッパの有無について。
 城北埼玉のけやき祭では、2013年にスリッパ配布がなくなりました。市川学園は昔から土足入場で、城北学園と戸山高校は校舎を建て替えてからスリッパになりましたが、城北では昇降口に段ボール箱が置いてあって、勝手に使ってくれという感じです。戸山はスリッパ持参を呼び掛けていますが、持って行かなくても昇降口で渡してくれるし、使い終わったスリッパは、生徒さんがその場でアルコール消毒して拭いてしまっています。
 個人的には、一度も洗わない学校のスリッパよりは持参した方がいいと思うけど、別にスパイクで校舎に入る訳でもないし、文化祭の期間中は土足で構わないんじゃないかなと。
 ※城北高は2014年にスリッパなしでしたが、また復活しました。


 受付での記帳は、市川学園が昔からなし。城北埼玉高は受付のテントが残っていますが、県立川越や浦和高校ではそんな物ありませんから、確か9年くらい前になくなっています。最近は個人情報が厳しくなった為か、戸山高校の受付では小さな紙を渡されて、代表者名と住所(東京都に丸印)、学校名を記載する方式※です。城北学園は大きな紙に住所を書く方式が残っていますが、さっき受付へ行ったら、名前を記載して、東京都や埼玉県などに丸印をつけ、市区名を記入する方式でした。

 ※ちなみに城北の受付は図書委員会が担当しています。