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城玉・校長先生の挨拶文

 文化祭へ行けば、たいていパンフレットの校長先生の挨拶文くらいは読みますよね。

 割とよく行く、城北埼玉の10周年ごとの挨拶文が奮っていると思ったので、ちょいと紹介しようと思います。

≪30周年≫ あいさつ(2010年)

 本日はお忙しい中、けやき祭にご来場頂き、誠にありがとうございます。

 さて、今年の6月より南アフリカでサッカーW杯が始まりました。この時期になると必ずマスコミで語られる話題がいくつかあります。そのひとつがチームプレーと個人プレーの兼ね合いです。試合に勝った場合は大体において「チームプレーの勝利」などと称賛されます。勝利した対カメルーン戦では、「1点を守り抜いて勝利」と言う表現を多く見かけました。負けた場合は「選手が消極的だった」などと、個人プレーを重視すべきという論調が多く見受けられます。私はサッカーは全くの門外漢で、チームプレーと個人プレーの兼ね合いなど分かりません。しかし、得点をあげなければ勝つことはできません。そして、得点をあげるにはチームプレーと個人プレーの2つが必要となります。

 日本に限らずどの国でもゴールした選手は、先ずゴールした喜びを体で表します。つまり、自分のプレーに対して喜びを表します。次に、パスを回してくれた者、自分をアシストしてくれた者と喜びを分かち合います。パスを回してくれた者は一人かもしれませんが、それはチームプレーの結果です。つまり、チームプレーに対して喜びを表します。

 このように、チームプレーと個人プレーの結果が得点に繋がります。この「けやき祭」も同じです。成功させるためにはチームプレーと個人プレーの2つが必要になります。もっともサッカーと同じく、チームプレーと個人プレーの兼ね合いは分かりません。生徒諸君で考えてください。

 生徒諸君はクラス・クラブ・有志・実行委員など各グループに分かれ、展示・模擬店・運営など表現は異なりますが、ご来場の皆様が楽しまれることを目標とし、力を合わせています。そして、ご来場の皆様が「来年も来たいな」と思いながら帰路についたなら、けやき祭は成功したと言えるでしょう。諸君やご来場の皆様が、けやき祭を楽しまれることを願ってやみません。(辞任半年前の挨拶文です)

 学校長 近藤文彦

≪20周年≫ 楽しむ境地(2000年)

  トム・ソーヤの話に、言いつけられたペンキ塗りの仕事を他の子供にやらせるため、いかにも楽しそうに友達の前でペンキを塗り始め、他の子供が宝物をあげるから、自分にもやらせてくれと懇願すると、内心とは別に仕方がないからやらせてやるとして、他人にペンキ塗りをさせ、宝物まで手にしてしまう場面があります。又、孔子の話に「学問をして知っているという人間も、本当に知ることが好きだという人間にはかなわない。また、好きというのも、これを本当に楽しんでいる人間には及ばないものだ」とあります。いずれも楽しむという境地の大切さを教えてくれています。どんなことでもやらされているのではなく、自ら意義を認識し、それを楽しみ、さらには、他人にも楽しんで頂くことが重要なのです。

  学園祭でどうしたら、お越しいただく皆さんに喜んで頂けるか、印象に残るものとなるか、気持ちよく過ごして頂けるか、学んで頂けるか、これを熱心に考え、情熱を注いで欲しいのです。それは将来もきっと大切なことになるものです。最後に、ご来校下さいました皆々様に心よりお礼申し上げます。

 学校長 磯部徳彦

≪8周年≫ (この頃は毎年同じ挨拶文でした 1988年)

  「一期一会」(いちごいちえ)という言葉がある。一生に一度の機会という意味である。われわれは毎日の生活の中で、色々の人々に出会い、また色々な事に出会う。その出会いの一つ一つを一生に一度のチャンスとして大切にするということである。諸君は本校に入学して多くの友人に、そして先生に出会った。考えてみれば誠に不思議な縁である。その出会いを大切にして欲しいと思う。それはその人々に対し思いやりの精神を持ちその人々と協調して行くことである。すなわち社会性を養うことが大切である。

 それに対し、われわれの日々の学問は全く個人的なものである。諸君の学問はもちろん先生の助けをかりなければならないが、最終的には個人の努力と責任においてなさなければならない。学問成就のためには自分自身に対してきびしく、怠け心など許さぬ不寛容のきびしさがなければならない。

 この社会性と個人性を止揚して始めて実りある高校生活になる。その場がこの学園祭初め学校行事である。お互い思いやりの精神を持って一致団結して立派に成功させて欲しい。

 また本校では第一回の時から父母の協力でより充実したものにしてきた。これを悪い伝統と感じ、生徒の自主性を云々する者もあると聞くが、君等の研究や発表をどうこうと干渉するわけではない。君等生徒の自主性とはそんな次元の低いものではないはずだ。御父母はもちろん、兄弟あるいは友人、知人にも来校して頂いて、楽しい本校生らしい活気に満ちた学園祭になることを祈っている。

 学校長 近藤正巳

 20周年の挨拶文は先生に対しても向けられたメッセージかな? チームプレーと個人プレーの兼ね合いを生徒諸君で考えてくれとありますが、スポーツならば男子校の方が強いだろうし、文化活動だと共学の方が強いという事ですよね。

 まあこの7~8年は不作が続きましたが、「全く迎合するのではなく、今日は見てよかったな、役に立つと思う所を少しでも必ず入れ、楽しく過ごしてもらうことが大切なのであります」(2001年「半歩主義」)という部分が好きで、日頃心がけさせて頂いている所ではあります。

 こういうの読むと、学校は大事にしなきゃいかんもんだと思います。

 

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