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「規約改正の背景と手引き」

 もう30年以上も前、昭和53年に都立戸山高校で行われた生徒会規約の話です。これの中心となった加藤正史氏が59年に書かれたワープロ書き46ページの小冊子を昔、3分の2くらいにまとめたものが残っていたので、生徒会則の考え方を知る上での貴重な資料として、取り上げてみたいと思います。

 戸山高では2008年に執行委員会(生徒会)の総務局が廃止され、会計局・庶務局が統合されるなど、大きな規約改正が行われています。現在の生徒会則はこちらです。また僕の方で原書をなくしてしまって直しようがなく、かなり読みづらいかと思いますが、ご了承ください。

(目次)

1,評議員とHR議長  2,生徒大会と昼礼  3,生徒規範と生徒規範運営委員会

4,執行委員会  5,戸山祭運営委員会  6,生徒会会計とクラブ(1) (2)


1,評議員とHR議長

 さて、53年改正以前、戸山の生徒会の審議・議決機関は「生徒委員会」といいまして、その代表職は議長と呼ばれました。また古くから、HR自治会の代表として、HR議長というのがいて、その名の通り、HRの時間に司会をする存在でした。これは規約を作る前はクラスによって人数もまちまち、任期も1か月交代や日直なみの順番制など、さまざまで、多くは慣行的に生徒委員会の委員がその役割を果たしてきたそうです。

 執行部の監視役であるはずの生徒委員が、執行部の提案をHRに説明したり、執行部のためにアンケートをとったりし、またHR議長有志の意見交換で、「HR議長会議」なるものが、執行部とは無関係に存在していたりして、長らく生徒委員会の懸案になっていたそうです。

 そこで、規約に存在しなかったHR議長を、HR自治会の代表と規定(設置義務と人数、リコール制度、兼任禁止の3条だけ)して、生徒委員とは別個のものとし、HR議長会議も、「HR議長連絡会」と改めて、執行部のHR自治局長が司会にあたる事にしました。

 その上で、伝統的な生徒委員会の名称を「生徒評議会」に改称。生徒委員は「評議員」へと改め、条文中に「選挙区」という言葉を用います。生徒部(顧問)が毎年作成する「生徒委員一覧」には狭いスペースに無理してHR議長を載せてもらい、また担任がHRで何かちょっとした用事を頼む際、生徒委員ではなく、HR議長を使うようにわざわざ評議会から職員会へ申し入れたそうです。

 旧生徒委員会の内部組織には、部(規約作成部)と、特別小委員会(臨時に設置)がありましたが、これを常任委・特別委とし、常任委員会として、現行の3委員会(評議会事務、規約作成、予算決算)を設置。前述の加藤氏の場合は、高1の後期に旧生徒委員会の副議長兼規約作成部長となり、足かけ2年かけて、規約の全文改正に成功したのだそうです。

 ただ、高度になりすぎて正副執行委員長選挙の立候補が出ず、公示期間の延長を余儀なくされたり、候補者が信任されず、生徒評議会の互選によって選出された事はあるそうです。


2,生徒大会と昼礼(目次へ戻る)

 従来より、生徒委員会議長が司会をつとめてきた行事に昼礼があります。例えば、昭和52年度には2週に1度と活発に開催されていました。この行事を規約化する事が討議されましたが、実現しませんでした。

 理由として、昼礼が生徒会の行事か、それとも学校主催の行事であるか、明確でないことがあげられます。これは生徒会だけが一方的に決められるものではなく、昼礼の前身である朝礼が学校主催のものであり、かつ授業に影響があるだけに、もし決断を迫れば、学校側がイニシアチブを取る公算が大きかったからです。現に昭和55年度には、「集合状態が悪い」ことを理由に、数度にわたって教師が司会にあたった例もあり、昼礼の規約化は困難であり、無規約状態のまま、生徒会が最大限に利用するのが得策である、と判断されたものでした。

 一方、数年にわたって開かれていなかった生徒大会(生徒総会)を開催したのは、昭和50年度前期執行部でした。生徒委員会(現生徒評議会)も、生徒大会特別小委員会を設置し、全面協力しました。学校側も、執行部の積極性を評価して、大会のために授業時間を割いてくれ、2時間が与えられました。前期(53年改正前の前期は4~9月、改正後は5~10月)終了間際の9月11日に、記念すべき再開第1回の生徒大会が開かれました。以来、前後期各1回、1回2時間(後に1時間に減らされた)の大会開催が慣例化し、現在に至っています。

 53年改正前の生徒会会則では、大会開催に毎学期1回、年3回以上と規定されていましたが、改正会則では実情通り、年2回開催と改められました。その内容は、従来の慣行、会議の原則などを条文化したものにすぎず、生徒大会規約制定の目的は、大会開催の必要性を強く意識づけることにあったそうです。

 但し、生徒会会則では、特に生徒大会を経ずとも、会則改正ができるようになっています(会則50条)。以前のような大会未開催状態をおそれてのことでした。当然のことながら、議長は「表決」には加わることはできず、表決の方法は挙手でも起立でも、無記名投票でもよく、また大会後であってもよいし(第17条)、通常は翌日に無記名投票をしているそうです。「大会後の採決」を除いては、いずれも常識的な会議の原則だそうです。

 53年改正の直後、原晋校長(退職後は城北学園校長)の手により、黒磯寮の改築が完成するのですが、この年の執行部は、HR合宿の再開という大事行にいどみ、生徒の大きな関心を集め、白熱した生徒大会の結果、HR合宿復活という輝かしい業績を残しました。


3,生徒規範と生徒規範運営委員会(目次へ戻る)

 昭和24~5年に、現在の教育目標と生徒規範が誕生しました。

 本校の教育目標

 本校は、民主的で文化的な国家・社会の有為な形成者を育成して、世界の平和と人類の福祉とに貢献させることに理想をおく。これを実現するために、生徒自ら、国家・社会について理解を深め、自己の使命を自覚して、真理と正義を愛し、自他の敬愛と協力とを大切にする人格の完成に努めるよう教育する。

 ここに次の諸点を期待する。

1、 自ら重んじ、個性をのばす

1、 努力を尊び、責任を果たす

1、 心を豊かに、体を健やかにする

 生徒規範前文

 この規範は、本校生徒がよりよき学園生活をおくるために欠くことのできない義務を明示したものである。本校生徒は、正しい権利を主張するためにも、この規範の実行に努力しなければならない。

 他校なら、「校則」とか「生徒心得」のように職員会で決められる内容が、(形式的ながらも)戸山では生徒会のきまりとして規定されました。当初28項あった中で、掲示・出版などの「事前審判の禁止」(昭和30年代)や、制服の撤廃(40年代)など、多くの制限事項が撤廃され、または項目によって内容がかなり変えられ、現在25項に減っています。

 この規範を討議したり、維持したりする生徒規範運営委員会というのは、規範の中に設置規定がありながらも存在せず、昭和40年代の制服自由化運動の中で必要性が認められ、規範が制定されて誕生。それでも53年改正以前の生徒会則の中には何ら記されていないので、生徒会の正式な機関でなく、当時この委員会は、「活動をしない委員会」として、運動部の部長が他の役職を嫌ってなるなどの事例も報告されていました。

 この委員会の定例会は、新規約も旧規約も月1回と定められてあり、要するに平常の活動は期待されていません。今後の論議は生徒評議会に委ねてもよいのではないかという意見もあったけれど、今は必要なくても将来において、過去のような問題が再燃するやもしれず、そのときに備えて、専門機関を設置しておくべきであろうという意見も有力で、存続が決定しました。

 生徒委員会当時、選挙管理委員会は生徒委員中より選挙管理委員長を互選し、委員長の指名に基づいて6名の1選管委員を決定する制度でしたが、これを廃止し、選挙管理のすべてを生徒規範運営委員長に委ねるものとしました。

 また、決算認定の際の会計検査(領収書の確認)は、生徒委員会では数名の監査役を互選して行っていましたが、これを廃止し、生徒規範運営委員会に移管しました。

 また「議長」を「委員長」と改め、生徒手帳に「生徒会関係編」を設け、そちらに生徒規範を収録することで、生徒規範を校則と同様に考える若干の先生方のための区別をつけることにしました。

 

4,執行委員会(目次へ戻る)

 現在の戸山高校の執行委員長(生徒会長)は、前後期の選挙で選出される正副執行委員長と、3年制の執行各局の長(局長)で構成されています。正副執行委員長がペアを組んで公選されるという制度は、生徒会成立当時より行われていて、「ペア公選には、公職選挙における供託金制度と類似の、不良候補抑制の効果があり、ペアを組む相手がいる事は、少なくとも執行機関の長をする意欲と能力のあることの最低の証明といえるのではないか」と、筆者は述べています。昭和30年代までは、文化班対体育班などの形で対立選挙が多くあり、昭和40年代に入っては信任投票が増え、40年代後半には再三にわたって立候補者がなく、執行委員長が生徒委員会(現生徒評議会)で互選(現生徒評議会規約第38条)される事態が起こりました。

 昭和52年度から、前期は副執行委員長が2人(1人は戸山祭運営委員長兼任)というトリオ公選となって、さらに立候補は困難になり、昭和50年以降は(56年を除き)いずれも執行部経験者、あるいはその推薦を受けた人によってペア、トリオが組まれ、唯一立候補して信任選挙が行われているのが現状だそうです。

 53年改正以前の下級執行機関には、庶務部(現総務、内務、庶務局)、渉外部(現外務局)、会計(現会計局)、書記(現書記局)、HR自治会管理部(現HR自治局)、クラブ管理部(現クラブ管理局)という常設の6つの部、及び臨時設置の特別小委員会、さらに執行委員会の下に位置する、と定められたいくつかの委員会(学生公論編集委員会、新宿戦実行委員会など)がありました。53年改正では、部及び特別小委員会を内局として、執行各局に改め、従来、各部部長(6名)と呼んでいたものを新たに「執行委員」と規定し、人数を10名以下(正副委員長は含まない)としました。

 執行委員は原則として、執行各局の局長となるが、特に各局の局長とならない無任所の執行委員が存在しても構わない(執行委員会規約第5条)とし、常務局の数(8)を上まわる10名以下としたのは、執行委員があまり多数となることを防ぐ理由によるものだそうです。また執行委員は執行委員長が任免するのであって、執行の委員会の会議での多数決は意味がなく、「執行委員長が主催する」(執行委員会規約第8条)とは、その意味であるとしています。

 執行委員長は、「すべての執行機関を統括する」(会則第28条4項)とも定められ、もし執行委員長において不適当と認めれば、他の執行機関の決定を中止できることにもなっていて(執行組織規約第2条、健康委員会規約第28条)、執行委員長権限は強大化し、強い指導性を持てるようになったのだそうです。

 一方、評議会には規約制定権があり、執行委員会は規約を守らねばならないことから、「執行委員会は、(中略)生徒評議会に対して責任を負う」(生徒会会則第20条)とあり、執行委員会と評議会の関係は議会制民主主義の根本原理に基づいて、規約上は評議会の方が優位にあります。また執行委員長の評議会出席義務(生徒評議会規約第51条)も定めてあります。しかし執行委員長には評議会の解散権も定め、濫用を防ぐため、条件付きとしました(執行委員会規約第14条)。生徒規範運営委員会およびHR自治会との関係は、HR議長に対する指示権(執行委員会規約第16条)が定められた他は、特別な関係は定められていません。

 「部」を「局」に改めた理由は、クラブの呼称を「班」から「部」に改めることが予定されていて、「部長」の乱用を避けるために実施されたものだそうです。この改正で、旧庶務部を総務局、内務局、庶務局(印刷機などの機械管理)に分けた為、6つの部は8つの常務局となりました。総務局長は、政府の総理府総務長官(当時→総務庁総務省)をイメージした存在で、各局いずれにも属さないような仕事、及び全体の管理にあたってもらい、内務局長は同様に内閣官房長官をイメージした存在で、執行委員長が何かしようとする時に協力するための存在で、執行委員長の側近として各機関への根回しなどをする、いずれも執行委員長が何かしようとするときに協力するための存在で、そのため執行部が単に事務処理のみに従事していると、最もひまになってしまう局であるそうです。

 次いで、戸山祭運営委員会、学生公論編集委員会(規約により常設)、新宿(高校)戦実行委員会、HR合宿準備委員会、戸山祭表彰委員会などを「執行委員長の下に位置する委員会」(外局)として執行特別委員会と規定した。委員長は執行委員長が指名し、評議会が任命、罷免すること(戸山祭運営委員会は例外)。委員長は執行委員資格を有さず、通常は執行委員会の会議には出席しない。又、執行各局(内局)の委員は厳しい兼任禁止を受けるが(執行組織規約第8条)、執行特別委員会の委員は評議員、生徒規範運営委員との兼任禁止が決められている(同規約第29条)にすぎない。これらは、執行特別委員会が執行部の立場を離れ、いわば特定分野のミニ執行部として、広く活動することを求めたものにした。ただし当然、執行委員長にさからうことはできない(同規約第2条)。

 53年改正前の前期は4~9月、後期は10~3月でしたが、これは前期を5~10月、後期は11月~4月と改められました。4月に新たに評議員や規範運営委員が選出されても、第1回の会議が開かれるのは4月20日前後、役員が決まって活動が始まるのは5月頃になります。評議会などでは、この空白は何とかなるとも言えますが、執行委員長の場合は1か月以上も出るのは好ましくありません。評議会、生徒規範運営委員会が5月初日からすぐ機能できるようにして、延長公示や再選挙で延びる可能性を減らす意味で、前期の始めを5月にするというアイデアが考えられました。

 また従来、前期は9月いっぱいであり、前期末の生徒大会は9月中旬の戸山祭直前に開かれていました。この大会では、戸山祭運営に関する議論(休日登校制-昭和52年に開始)などが行われたこともありますが、全体としては戸山祭直前のあわただしさの中で盛り上がらず、前期は10月までとし、10月中旬に戸山祭の反省も含めた生徒大会を開く方が適当と思われました。一方11月は、1~2月と並んで大きな行事もなく、2月の生徒大会まで執行部が大きな仕事に取り組める時期であり、後期を11月からとするのは、あまり望ましくはありません。できれば10月の中間試験前にスタッフを揃えて、11月からはすぐ力を出せるようにすべきだと考えられました。

 以上を総合的に判断して、任期を変更しました。

 他校の例を見ると、ただ目立ちたいがための立候補、あるいは「私は生徒会をなくすために立候補しました」と公約し、現に当選して生徒会を解散した例などもあるが、戸山の場合はいわゆる自治意識の低迷とともに、執行部活動(戸山祭を含めて)が複雑、専門化し、いわば「素人」である未経験者との距離が開いていることが立候補者減少の理由となっており、著者はこの解決には、地道な広報努力を続けてゆく以外、方法はないだろうと述べています。


5,戸山祭運営委員会(目次へ戻る)

 学園祭が戸山祭と改称されたのは昭和42年。学園祭実行委員長が全校選挙で選出されるようになったのは昭和36年のことで、この時、各HRより2名ずつ選出された委員による実行委員会制となりました。

 しかし戸山祭運営委員会が実務力を失い、「戸山祭」に関する審議機関へ変質し、かわって実行委員長の下に有志によって構成される戸山祭運営委員会が実務を担当する様になりました。

 これら戸山祭関連組織は、生徒会則や諸規約には何の記載もない委員会であって、昭和50年の実行委員長と執行委員長が生徒会室の使用優先権などをめぐって対立。なかんずく、生徒大会と戸山祭に関する質問が発せられた際、執行委員長は「権限外」として回答せず、一方、戸山際実行委員長は「任務外」として大会に参加しておらず、結局回答できないという事態が起こって、問題とされました。

 これを機に、戸山際組織を生徒会内に組み込む事が検討され、50年末、まず形式化していた戸山祭実行委員会を廃し、戸山際に関する審議は、当時の生徒委員会(現生徒評議会)に一任されました。同時に有志団体であった戸山祭運営委員会が公認され、実行委員長は運営委員長と改称。一方、実行委員会で行われていた各HRへの伝達に代わるものとして、戸山祭代表者会議が設置されました。

 翌年の運営委員長には、前年未経験者ながら、執行委員長と親しい人間が立って、経験者がこれを助ける役にまわり、また戸山祭運営委員会の会計には、執行部の会計部長(現会計局長)があたるなどして、昭和51年の戸山祭は良好に行われました。

 こうした経験をふまえて、さらに同年秋から、戸山祭運営委員会の位置づけと、執行部との関係が討議され、それまでの正副執行委員長ペア公選をもとに、前期は副執行委員長を2名とし、前期副執行委員長と戸山祭委員長を兼任させるという、現在のトリオ公選案が考え出されました。

 これは戸山祭組織を執行組織に組み込むには、執行委員長の下の委員長とするのが妥当であるが、学生公論編集委員長や新宿戦(都立新宿高校との体育部定期戦)実行委員長の様に、執行委員長が指名、評議会で任命という形をとれば、戸山高校最大の行事である戸山祭の責任者が評議会任命では、軽すぎるといった、いささか感情的な問題の他に、現場で上級生や教師とやりあってきた運営委員からは、クラス、クラブのさまざまな要求をさばいていくには、是非とも公認によって選ばれたというバックボーンが必要であるという意見もあり、規約上、戸山祭運営委員会を執行委員長の下におくと決めても、運営委員長が執行委員長同様に独立公選されるのでは、結局問題の解決にはならないということ。別の問題として、執行部と戸山祭運営委員会が同一化すると、戸山祭前後の執行部活動が戸山祭のみになるという恐れを危惧されたもので、更にトリオ公選案は、立候補を極めて困難にするという根強い反対もあって、調整は難航したものの、結局、従来のペア公選でも学園紛争(昭和44年)以降、対立候補が出にくい状況にあって、トリオ公選でも状況が変わらないという実質判断がなされ、昭和52年度前後から、トリオ公選制がスタート。同時に、以上のような内容を盛り込んだ戸山祭運営委員会規約が制定されました。

 トリオ公選以降、執行部と戸山祭運営委員会は、ほぼ不可分のものと考えられるようになったが、一方で前期執行部の独自の活動は、8月から9月にかけては停滞の度を強め、選挙は昭和56年前期に例外的に対立選挙が行われた他、ペアに比してトリオは作りにくいため、前後期とも信任投票案が続いているそうです。

 

 戸山祭においては、昭和47年からクラスに対する表彰が行われる様になり、49年からはHRから選出の委員による表彰委員会制が始まりました。これの規約化が検討されましたが、反対意見が多かったそうです。

 戸山祭をどの様に実施するか-表彰の有無、クラス(クラブ)の優先、参加部門の制限、運動部の参加、統一テーマの有無等々-は、すべて戸山祭運営委員会が決定(戸山祭運営委員会規約第2条)するべきである、と結論されたからです。


6,生徒会会計とクラブ(1)(目次へ戻る)

 生徒会の予算は授業料などとともに、10回払いで納入される生徒会費(当時2500円)と入会金(同500円)がメインで、他に新宿戦・戸山祭時の食堂(定時制用)、喫茶、ドリンク販売などの事業収入というものもありましたが、生徒部(先生)の指導で、昭和56年から寄付に回される様になりました。この他に昭和47年度から、必修クラブ制度が始まり、戸山では必修・課外一本化という特殊なクラブ制度を採るために、都から出るクラブの活動費の大部分を生徒会が配分する事となり、生徒会としては、この都費を生徒会会計の一部とみなし(都費会計特別規約第2条)従来の生徒会費会計を第一部、都費会計を会計第二部と呼んで区別する事にしました。

※都費はあくまで学校経費であるので、若干の過不足の調整は生徒会の承諾なしに事務室が行うし、また年度末に余剰があっても、それは東京都の予算の繰越金となって、生徒会の繰越金とはならず、また本来生徒会のものでないものを規約化している為、改正には学校当局の同意を必要とする旨の附則を付け、都費会計特別規約は「特別規約」となっています。

※都費の総額の8割程度の分配が、毎年生徒会に委託されますが(都費会計特別規約第1条)、残りの2割程度(原材料費、報償費の全額を含む)は学校側に残され、校庭用の石炭や、土質改良剤など、ほとんどが運動部向けに使用され、実質的には運動部優遇となっています。

 戸山の生徒会の会計は他校の様に、生徒会及びクラブの代表で構成される「予算会議」の様な機関で予算を立案する訳ではなく、そのほぼ全部を、執行部の一部署である会計局の、事実上数名の人間が運用し、予算立案までをすべて会計局が担当していて、昭和53年改正でも執行委員長に力を与え、何らかの問題に対処しようとする際に、力を発揮できることを原則として考え、執行部中心型会計システムを強く支持したといいます。

 その理由は、

 1,たてまえながらも、予算は全校代表である評議会で審議を受けるものであり、

 2,クラブの意見を聞くために、会計局は十分な折衝、二次(復活)折衝を行っている事

 3,生徒会会計が自治優先の原則をとっている以上、予算編成のイニシアチブを執行部が握るのは当然であり、

 4,執行部がクラブ予算配分を含めた予算編成権を握ることは、執行委員長の発言力を強め、またその行動力を強く支援することになる。

 5,仮に、クラブ助成費の配分をクラブ間の話し合いに委ねた場合、大会などの成績優先、小規模クラス不利など、不公正な結果となる危険性が大である。

 6,生徒会会計システムは、あまりに複雑であり、安全性のためにもその運用は、知識を有する少数者(会計局)に任さざるを得ない。生徒会会計に破綻をきたせば、職員会が収拾に乗り出してくることは当然で、そうなれば、今後の会計自治権が心配されることになる。

 会計局が作成した予算原案は、執行委員会の決定を経て、正式な予算案となります(生徒会会計規約第12条)。この予算案の審議において、評議会は当然のことながら、修正を加えることができます。ただし修正は重大案件であり、生徒会会則改正の発議と同様、3分の2以上の賛成を必要とします。しかしながら歳出、歳入予算額は事実上変更不能であるし、またクラブ個々の予算の修正はクラブの利害と密接に結びついており、不公正を生む土壌となりかねないので、規約はこれを禁じています(生徒会会計規約第14条)。予算案は評議会の可決を経て、晴れて「予算」となります。

 例年の生徒会予算を見ると、執行部関係者の所属するクラブに対する予算配分が甘かったりする事がありますが、戸山では執行部関係者の方が、クラブにとっての幽霊部員である事が多いそうです。また、ごくまれに、執行部関係者が予算をたてにとって、クラブに対し、強圧的な態度に出ることもあるそうですが、筆者は「いささか残念」と言っているだけなので、大きな問題にはなっていないみたいです。とまれ、生徒会会計システムは、執行委員長に権限を与え、何らかの問題に対処しようとする際に、力を発揮できる事を原則として考えられているそうです。


7-2,生徒会会計とクラブ(2)(目次へ戻る)

 学年やHRのワクを越え、同一の興味をもとに集い、活動するクラブには、授業にはない良さがあります。戸山ではかつては「部班制」を採っていて、例えば科学部化学班、音楽部室内管弦楽班、運動部野球班といった具合で、新聞と放送は部に、その他に同好会が多数存在していたのですが、昭和47年度より教育課程が改められ、「必修クラブ」が導入されます。

 しかし、週に1度1時間、顧問が出欠をとって指導するような活動を、従来のクラブ活動に替えることができるはずもなく、むしろ従来のクラブ活動を衰退させる要素となりかねないと判断した戸山の職員会は、必修クラブ、課外クラブの一本化という異例な対応をとります。まず従来のクラブ(各部班)をすべて必修クラブとみなし、担任教師は証明書等の記載のため、生徒のクラブ加入を状況を調査し、また生徒規範細則第10項に基づいて、クラブ加入を勧める。クラブ活動の「単位」は、クラブ活動に参加していなくても生徒に一律に与えられ、木曜6現に「クラブの時間」を定めるが、この時間にクラブが活動するかどうかはクラブの自由であり、顧問が出欠をとるような事もなく、つまりは実態として、必修クラブ制は導入されなかったのも同然となりました。

 また、授業として行われる必修クラブの費用が東京都から配分されるため、この予算(あくまで学校経費の一部)のクラブ向け配分と、従来のクラブの予算編成権を持つ生徒会執行部に「委託」することとし、生徒会のクラブ向け予算は倍増しました。予算配分を受けられない同好会は班への昇格が相次ぎ、同好会制度は事実上消滅したのです。

 昭和53年の規約改正では、以上のような部、班の同格化、同好会制度の消滅といった事態を整理し、新たな基準をうちたてる事を目的とし、その基礎として、「クラブとは一体何であるのか(クラブ観)」が議論されました。結論を分かりやすく言えば、クラブとは本来広い意味で、自分勝手に楽しんでいる存在なのであり、決して「生徒会の決定」や「母校の名誉と伝統」のために活動するものではない。従って、生徒大会や執行委員長といえども、クラブの活動方針に干渉する権利はない。と同時に生徒会はクラブの活動費を負担する義務を有さない。ただ、クラブ活動の重要性ゆえに、可能な程度の援助を行うにすぎない。クラブの立場からすれば、新宿戦や戸山祭を始め、諸行事への参加や協力は義務ではないし、また予算や何らかの処置を生徒会に要求(要請、要望はまた違う)する権利はない。またクラブは、先輩から受け継いだ伝統と実績の上に位置するものと、継続的な活動を主とし、だからこそ当年度予算を前年のうちから決定しておくのである。クラブの本質を自己独立的、継続的と定めた上で、名前のみで人員のいないクラブは存在すべきではない。このような趣旨で53年改正が行われました。

 

 まず、班長会議というのがあって、その名の通り、部班長によって構成され、部班の共通の問題の協議の他、新班設置の承認権、及び予算案作成に対しての助言をする権利を持っていました。そもそも利益代表の討議は必ずしも公正にはいかず、新班設置の承認は、既存部班が既得権(予算・活動場所)をタテに反対する事が予想されます。予算案作成に関する助言にしても、クラブに対する予算配分の本質を「援助(助成)」と定めた以上、クラブの発言力が増し、無用の圧力を生む点で望ましくない事でありますが、53年改正当時の部班会議は、実質的にはクラブに対する連絡の場でしかなかったため、これを廃し、連絡・協議のみを目的としたクラブ連絡会を設置(クラブ規約第8条)して、これに替えました。

 班長会議は、明確なクラブ利益代表機関ですが、クラスの代表機関の面がある生徒委員会を補うために置かれたものであり、クラス代表の機関としてHR議長連絡会が定められたのとつりあいをとる意味も含まれます。クラブの新設も、班長会議の廃止により容易になった筈で、一方のクラブの廃止については、部員がいなくなったクラブは即時廃止することとしました(クラブ規約第13条)。クラブの単位である「班」は、従来より「古めかしい」として抵抗感があったため、思い切って「部」に改めることにしました。

 しかし、これによって新聞、放送両部の特別な立場が、他班と区別できなくなってしまう問題があり、公共的(準委員会的)活動を求めるべきであると考えられた為、「特別クラブ」という分類項目を定め(クラブ規約第3~4条)、クラブ一覧表でも、他のクラブより優位に扱うこととしました。

 

 クラブ助成費の配分にあたっては、前年度並みを基準とし、これに若干の増減をするのが慣例ですが、増減の参考となるのは、クラブの平素の活動状況及び、次年度の活動の中心となる新2年生の人数とされ、戸山では「大会などはクラブの目標ではあっても、目的ではない」とする考えから、これを考慮しないのが普通で、この点では極めて健全な原則が貫かれています。

 クラブの中には、学校に設備のないもの、多額の資材を必要とするもの、少人数のため個人負担(いわゆる部費)が多額になるものなど、不利な条件のクラブがあります。また数年に一度、多額の機械や楽器などを必要とするクラブもあり、過去においては多額の資材の購入後、数年間の予算を「調整」(つまり減額)するという措置をとってきました。これではあまりに気の毒なので、昭和54年度からはクラブ助成費を全額クラブに配分するのではなく、単年度のみの予算の上積みを行うアルファ予算制度を採用しています。

 生徒会予算は生徒会全体のために役立たせるもので、多少なりとも公共性を有するもの、次いで数年以上にわたって使用できるものを優先すべきであって、事務用品や大会参加費など、単年度で消えてしまうものの優先順位が低くなってもやむを得ません。といって、毎年支出するものを重視しないわけにも行かず、このへんの兼ね合いは会計局長の手腕に任されます。

 クラブは独立的団体との原則に反するものとしては、執行委員会による活動場所使用中止命令(クラブ規約第20条)、生徒会予算で購入したクラブの備品の執行委員長への貸与義務(同規約第24条)など。いずれも生徒会全体からみて、必要妥当と判断され、規定されました。一方、同好会制度は事実上消滅しており、あえて規約化する必要はなかったけれど、非継続性、短期的な活動、例えば戸山祭への参加を目的としたサークルなどを作る目的に、昭和40年代に「自由サークル」が活発に参加していましたが、この自由サークルの設立基準の不明確さが問題となっており、この点の解決などへの期待から、同好会に新たな意義を求め、これを規約しました。従来の同好会の新設には、執行部の他に、生徒委員会の承認を必要としましたが、新規約の同好会規約では、執行部の同意のみで設立できる(同好会規約第6条)ように簡略化し、制度の新旧の促進をはかりましたが、実際は同好会制度の消滅という事実の前に、ほとんど生徒に知られないまま、活用されない死んだ制度となっています。

 

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